fc2ブログ

3月の読書まとめ

  • Day:2014.04.02 19:57
  • Cat:読書
2014年3月の読書メーター
読んだ本の数:14冊
読んだページ数:4339ページ
ナイス数:34ナイス

脱資本主義宣言: グローバル経済が蝕む暮らし脱資本主義宣言: グローバル経済が蝕む暮らし感想
今のこの社会が「生きづらい」理由の一つに、現代社会は経済の成長を至上の価値観とし、常に右肩上がりのグラフを目指すように出来ているからだ、と説く。 確かに資本主義では「効率・成果」が最重要視されるし、そこで暮らしている我々はなんの疑いもなくその価値観に染まりきっていて、すべての「いい」か「悪いか」の判断基準もそこから発している。 「永遠の成長」などあり得ないわけだし、そういった生き方にどうしても適合できない人も出てこよう(続く。
読了日:3月30日 著者:鶴見済
その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち (シリーズ ケアをひらく)感想
再読。やはり素晴らしい本だと思う。 ダルク女性ハウス代表であり、自身も依存症であった上岡陽江さん。 どうしようもなく「生きづらさ」を抱えた人というのは、しばしば健常者から見ると眉をひそめるような行動パターンを取りがちなんけれども、それにはちゃんと全て理由があると説き、その理由を鋭い視点で説明してみせている。 愚痴や相談の仕方自体が分からない、家族の外部に「応援団」を持ってない、人と近づきすぎてしまう、自分の身体感覚を我慢しすぎてマヒしている、など……(続く。
読了日:3月29日 著者:上岡陽江,大嶋栄子
新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫)感想
山田風太郎氏の小説自体は読んだことはないのだけれど、この本は面白かった。 優れた作家の資質のある人間――この本では名もなき庶民としてだが、そういった視点を通して描かれた戦中と戦後が淡々と、そして分かりやすく記録されている。 同盟国ドイツが降伏しヒトラーが自殺した報を聞いて「巨星墜つ!」と書いていたり、玉音放送を聞いた日に同級生とクーデターまがいのことを計画してみたり……状況自体は激動の時代だったわけだが、良くも悪くも筆者も周囲の人間も「日々の生活に追われている普通の人」であって、だからこそ親近感が持てた。
読了日:3月28日 著者:山田風太郎
こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫)感想
今更ながら読んでみた。 若い頃読んだら大層共感しただろう内容だが、自分が年をとると「先生」の思いこみの激しさやエゴイストぶりに突っ込みを入れたくなったり。 本人自身しかわからない認知の歪みというのは、たいてい暗く妄想的で極端なのだが、ここまで繊細な文章にされると逆に一種の美しささえ感じる。 親友であるKに対する愛憎入り交じった複雑な心境や、世の中に対する疎外感と孤独感はとても共感できたし、そういった心理の機微が細かく描写されていて、辛いときなどにまた読み返したいな、と思える一冊だった。
読了日:3月26日 著者:夏目漱石
ギャンブル依存とたたかう (新潮選書)ギャンブル依存とたたかう (新潮選書)感想
この本読んでると、「日本マジでやばいんちゃうか?」と思う。 200万人もいるって…認知症老人の150万人よりも多い数だよ? しかも、完全に野放しどころか、パチンコ業界は拡大・推進されてる一方で、ギャンブル依存症に対しての対策も皆無。 さらに精神医学界もギャンブル依存症に興味がなく、国民のほとんどもこの病気について知らない…。 依存症は普通の病気と違い、周囲が世話を焼けば焼くほど症状が悪化する病気である。その基本的なカラクリも啓蒙せずに、これだけパチンコが蔓延している現状というのは恐ろしいことだと思う。
読了日:3月25日 著者:帚木蓬生
「ひきこもり」だった僕から「ひきこもり」だった僕から感想
さすがひきこもり当事者が書いた本だけあって、俗に言う「専門家」が展開するような理路整然としてはいるが、どこか他人事な分析とは違い、「魂の絶望」とでもいおうか……そういう怨念と気迫が感じられる。 もちろん、単なる評伝にとどまらず、著者自身の「ひきこもり」についての分析も非常に興味深いものになっている。 私が特に共感したのは、上山氏の「復帰に対する考え方」だ。 そもそも、ひきこもりから脱出するチャンスがあったとして、「元のレール」に戻ろうとすると、ものすごく苦しむことになる。というか、無理なのだ(続く
読了日:3月22日 著者:上山和樹
ネトゲ廃人ネトゲ廃人感想
ネットゲーム依存症が騒がれる昨今、参考として読んでみたのだが、どうもこの本で紹介されている人たちはそこまでひどい廃人ではないと感じる。 「飽きたからやめた」というレベルの人が多く、確かに実生活に影響は及ぼしているが、人生そのものが破綻しているレベルにはない。 この本はサブカルチャー系統の書籍棚にあったので、そこまでリアルな描写はいらないのか……。 しかし、「私がいなくなると、みんな死んじゃう」というキャッチコピーは、ネトゲにおける無言の拘束力を言い当てていて秀逸だと思った。
読了日:3月18日 著者:芦崎治
社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)感想
本書では、ひきこもりにおいて「30歳」とはひとつのターニングポイントだと説いている。 残酷なようだが、この時点において復帰のメドが立っていないようなら、「詰んだ」ことを覚悟しなければならないということだ。 すなわち、もう社会復帰以外の選択肢を本気になって考えなければならない。 出版されたのが98年なので、やや情報が古い部分もあるが、ひきこもりの概要や治療法においては今も変わりなく、充分読書に耐えられる興味深い本だった。
読了日:3月17日 著者:斎藤環
明日の記憶 (光文社文庫)明日の記憶 (光文社文庫)感想
映画を観てから原作を読んだクチ。 徐々に失っていく記憶や人格の変化に戸惑う様子を主人公目線で描いている。 アルツハイマー病は多くのものを失う病気であり、そのような絶望的な窮地に追い込まれても、この主人公は最後まで人間らしくあろうと病気と闘い続けた。 高齢化社会になって、認知症に対する理解は増えてきたとはいえ、それでもこの病気は想像を絶する孤独感との闘いだろう。 こういった病気を題材にするにしては、いささかキレイにまとまり過ぎてるような気もするが、あくまでフィクションであるし充分引き込まれる内容だった。
読了日:3月8日 著者:荻原浩
私はヒトラーの秘書だった私はヒトラーの秘書だった感想
ヒトラーの秘書、トラウドル・ユンゲの自伝。 トラウドルは、当時としてはドイツ人として一般的なナチズムの信奉者だったが、ユダヤ差別主義者ではない。 この本では、「よく知らない間にユダヤ人は社会の片隅に追いやられれ、抹殺されていた」と書いてある。ナチスの手際の良さが窺い知れて驚嘆せずにはいられない。 また、秘書の目から見た一個人としてのヒトラーは、とても紳士的で穏やかで、魅力的な人物だったらしい。他のナチス高官も同様だ。 この本を読んでると、真の狂気とは渦中にいると気付かないものなのだなと感じさせる。
読了日:3月7日 著者:トラウデル・ユンゲ
今日、ホームレスになった―15人のサラリーマン転落人生今日、ホームレスになった―15人のサラリーマン転落人生
読了日:3月7日 著者:増田明利
狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫)感想
一人の精神科医の視点から、淡々と精神病患者について記述している。 この本では、殺人などの犯罪を犯した精神病患者を裁くシステムの不備を嘆いている。 そのためか、どのケースもかなり重症の患者を紹介している。 これを読んで作者に同意するか、反発するかはまた別として、少なくともこういう事実がある、ということは胸にとどめておきたい。
読了日:3月5日 著者:岩波明
ビジュアル 1001の出来事でわかる世界史ビジュアル 1001の出来事でわかる世界史感想
写真や資料付きで、先史時代から現代までの主要な出来事をピックアップしてて、とても面白かった。 じっくり最初から読むも良し、拾い読みするも良し。 気になったワードについては他の本で調べて掘り下げてもいいし、いろいろな使い方ができる一冊。
読了日:3月5日 著者:ダン・オトゥール他
「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)
読了日:3月2日 著者:斎藤環

読書メーター
スポンサーサイト



ひきこもり当事者が感じている「周囲と話が通じない感」は異常

  • Day:2014.03.22 19:23
  • Cat:読書
「ひきこもり」だった僕から [単行本] / 上山 和樹 (著); 講談社 (刊)


「ひきこもり」だった僕から [単行本] / 上山 和樹 (著); 講談社 (刊)


上山和樹氏の「『ひきこもり』だった僕から」を読了。
さすがひきこもり当事者が書いた本だけあって、俗に言う「専門家」が展開するような理路整然としてはいるが、どこか他人事な分析とは違い、「魂の絶望」とでもいおうか……そういう怨念と気迫が感じられる。
もちろん、単なる評伝にとどまらず、著者自身の「ひきこもり」についての分析も非常に興味深いものになっている。

上山氏は、ひきこもりになる人は、『ずっと「価値観」が周りとズレていることに絶望してきた人たち』が多いのではないかと説いている。
世の中……もっといえば周囲の人間、そして最も近しい存在の「親」――あまりにも「話の通じた経験」が乏しいか、あるいは全くない。自分が本当に真剣に考えている問題、肝心の核の部分については、いつも「ないこと」にされるか無視される。
そういう経験をしてきた方が多いのではないのだろうか?
世の中の「首尾よくいっている人たち」が社会を形作り、そこに適合しなければならないと周囲から言われ続けているが、どうしても「自分一人だけ」歯車がかみ合わない。入っていけない。なにか違う。

そうした「価値観のズレ」に落胆する経験の積み重ねでひきこもりになってしまったというのに、ひきこもったらひきこもったで、今度は「経済的挫折」の問題だけを引き合いに出され、親や周囲からは「早くしろ」「将来どうする?」と社会復帰を急かされることになる。
が、そこには「価値観」という問題が見事に欠落しているというのだ。

人間は、「生きていくためだけに生きていく」ほど強くはない。
なにかしら、「苦痛の先には何かある」という希望が必要なのだ。
「とにかく働け」と叱咤しまうひきこもり当事者の周囲の人間は、「状況」や「状態」だけを何とかしようと必死になるだけで、「何に苦しんでこうなっているか」これをなぜか極めて無視してしまいやすい(もちろん、親自身も非常な焦燥感の中でこういう言葉を言わざる得ないのだが)。

これはなかなかどうして無視できない問題だ。
確かに今までの社会や人間についての経験は「恐怖」しかない。世の中と自分との価値観もどこかしら決定的にズレている。
しかし、なにかしらアクションを起こさねば価値観の変動はありえない。自分一人の世界では、絶対に生きづらいままなのだ。
しかし、そもそも「復帰したとして、その苦痛の先に何かあるか?」と問われれば、「とにかく動けばなにかあるだろう」「どうにかなるだろう」としか周囲の人間にも言えない。
そんな不明瞭なことでは、もう本人が絶望しきっていて動き出すことができないのだ……。
そんな最悪の循環が5年、10年と繰り返される。

上山氏は、具体案として「まず仕事」ではなく「まずは金の絡まない人間関係を」と記述している。
ひきこもりが深刻化した事例において、信頼できる人間関係を経験しないままいきなり「仕事」というのは、はっきり「無理」であると。
「気合いで乗り切れ」とか、精神論を持ち出しても何の意味もない。むしろ悪化させるだけだ。

ふつうの「稼ぎをつくるための職場」というのは「価値観の共有」という経験を極めてしにくい場所なのである。
どこか隠蔽され、お互い様子を見ながら付き合わねばならない。
そもそもが「価値観の問題」で、繰り返し傷ついた人は「価値観の共有ができないかもしれない相手」を非常に恐れるようになる。これは私も痛感することだが……。
とにかくまず第三者の他人と「話が通じた」という体験をしてもらわないことには、どうしようもないのだ。

ひきこもり当事者の多くは、「過去の恨み」を思い出しては、親を罵倒し険悪な関係になる家庭が多い。
そこで「前向きにいこう」「過去にこだわってもしょうがない」「気持ちを入れ替えて」などのセリフを口にしても、虚しいだけである。むしろ事態を悪化させる。
なぜか?
それは本人が「今」に絶望しているからだ。人は「現在」に絶望したとき、過去のことしか考えられなくなる。
どうしようもなく絶望している「現在」。それを作り出したのは何か?過去に出会った一切の人たち、とりわけ、親。
そんな状態に陥っているにも関わらず、周囲の人間が中身のない、上っ面だけのポジティブな話をしたとしても、責任回避にしか聞こえない。
自分の絶望を無視されたようにしか感じられないのだ。
ここでもまた「話が通じない」と感じてしまう。

私が特に共感したのは、上山氏の「復帰に対する考え方」だ。
そもそも、ひきこもりから脱出するチャンスがあったとして、「元のレール」に戻ろうとすると、ものすごく苦しむことになる。というか、無理なのだ。
自分の中の暗い過去、怨念をとことん無視して「きれいで、明るい」人生に戻ろうとしても、もはやそういう絶望の世界を「見て」しまった以上、元通りになることはあり得ないと。
もはやその怨念は自分の中の「核」ともいえる部分になっているはずである。
それを抹殺し、封じ込めて生きていくには、どう考えても無理があるし、例えうまくいって復帰し、一応の社会生活を営なめたとしても恐ろしいほどの空虚感を生むはずである。
そして、いつまで経っても、魂の深い部分で社会に「適合」できない。
本当に必要なのは、「適合」しなくても社会で生きていけるという実感なのではないだろうか?
その実感を得るには、「第三者に話が通じた経験」が必要不可欠なのだが、あいにくひきこもりが周囲から急かされる「仕事への復帰」だけでは、極めてその要素がない。組織では、良くも悪くも自分を「適合」させなくてはならないからだ。
「カネの絡まない人間関係」を得ること。
これは、ひきこもりから脱出するのに必須の条件だと思う。

2月の読書まとめ

  • Day:2014.03.19 01:46
  • Cat:読書
あー、読書メーターってこんな便利な機能あったんだー。
最近全くブログ更新してないが、長い文章も久しくあんまり書いてないし、ボチリボチリ更新していこうかなと思ってます。
あともっと本が読めるようになりたい。
集中力のリハビリにもなるしね。

2014年2月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1112ページ
ナイス数:10ナイス

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 上感想
「ブラック会社」が社会問題として騒がれる昨今、この本では見事なまでに「古き良き日本の会社」を描いている。 経営者は社員は家族であると考え、社員もその期待に応えるため自分を犠牲にして会社のために尽くす。 理想的な循環が生まれ、だからこそ目的のために邁進できる。 この本には我々日本人が失ったエッセンスが詰まっているから、これほどまでに売れているのかもしれない。 やや主人公が美化されすぎてるきらいはあるが、ストーリーもテンポ良く進むので読みやすかった。
読了日:2月18日 著者:百田尚樹
津山三十人殺し 最後の真相津山三十人殺し 最後の真相感想
わずか一晩で村人30人を虐殺した、日本犯罪史に残る「津山三十人殺し」。 この事件は、現代の鬱屈したニートやひきこもり問題、「秋葉原通り魔事件」に類似した承認欲求にまつわる若者の暴発、村八分にみられる「いじめの心理」など、現代社会における歪みも内包していて非常に興味深い。 興味を惹かれたのが、生き残った村人達の証言。 意外に「睦雄(犯人)はとてもいい人だった」「村ぐるみのいじめが酷すぎた」など、かなり犯人を擁護する意見が多く、一概に犯人だけを極悪人にできないこの事件の複雑をかいま見ることができる。
読了日:2月15日 著者:石川清
パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)感想
この本では色々な人格障害を紹介している。 学校や職場でどうも周りとうまくいかない、トラブルばかり起こす「おかしな人」「性格が偏っている人」というのは、普段生活していたら必ず遭遇すると思う。 そんな人々との付き合い方も、人格障害という視点で見れば、なにかしらの発見や解決法があるかもしれない。 また、巻末には人格障害の傾向テストもあり、自分がどのような傾向があるか簡易的にチェックすることが出来る。 純粋に知識として読む分にも、バランスの取れた記述なので非常に読みやすかった。
読了日:2月11日 著者:岡田尊司
絆ストレス 「つながりたい」という病 (青春新書INTELLIGENCE)絆ストレス 「つながりたい」という病 (青春新書INTELLIGENCE)感想
大震災以後、ブームとなった「絆」を軸に、本当に世の中で言われてるほど必要なものなのか?と考察する一冊。 大震災によって「絆」が強調され、いかに素晴らしいものかマスメディアで報道されはしたが、世の中を見渡してみれば「絆」はストレスを増大させる諸刃の刃であることがよく分かる。 ひとつ納得いかないのは、この本の中では絆に性差があると強調したがってる点だろう。男性はマイペースで「出身の絆」に拘るものだと説明されてるが、それは人それぞれであろうと感じる。 とはいえ、「ゆるい絆」を推奨する本書の内容にはとても頷ける。
読了日:2月6日 著者:香山リカ

読書メーター

「生きづらい」人はコレを観てくれ!

「目の前にあるこの時間を生きることをやめると、問題は理不尽なほど何倍にも膨れあがる」
――NAベーシックテキスト P.158~159


2年ぐらい前に私がうpしたんだが、またUPするわ。
私が崇拝する月乃光司さんの絶叫朗読動画。
対人恐怖症が高じてひきこもりになり、アルコール依存症を発症。精神病院に数回入院するも、自助グループに繋がって立ち直り、今では病気パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」で活動してらっしゃる。



「アルコール依存症になってよかった お酒をたくさん飲んで、酒税をたくさん払い 我が国の経済に貢献した
ひきこもりになってよかった 外に出ることが出来て 本当の自由を知ることが出来た」

出だしがこう始まる詩なのだが、素晴らしい。
病気で人生がどうにもならなくなったことを嘆くのではなく、ユーモアたっぷりに笑い飛ばし、なおかつ力強さに満ちている。
やっぱりこういう精神系の病気にかかったら、必要なのはユーモアだよなー。
あと、月乃光司さんは、この詩の中で、
「なにが何でも自己肯定だ。地球は俺を中心に回っている!どんな人生でも全て正しい」とも言っている。
個人的に思うのだが、精神系の病気の人なんかは、自己肯定感が絶望的に欠如している人が多いと思うので、この部分にも大いに励まされた。

私個人の話をすると、NAのミーティングに行っても、「回復後のモデル」になる人がいないのだ。
とりあえず、薬はやめられたけど、いまだに精神病院に入ってたり、生活保護受けてたり、未だに病気前と同じ事に執着していて生き辛そうだったり……。
お世辞にもQOL(クオリティ・オブ・ライフ。生活の質、の意)が高いとは言えない。

何度も書いてるが、この病気は「薬をやめただけ」では全く意味がない。
依存症にいたるまで、依存症後に身についた歪んだ生き方、考え方を修正して、社会復帰しなければ意味ないのだ。
でなければ、必ずまた再発するか、ろくでもない人生しか待っていない。

そういう意味で、月乃光司さんは、私の「理想の回復後のモデル」なのだ。
「悲惨な過去を肯定してユーモアに転換する」「今ある現実がショボくても「いいところ」を見つけて肯定する」
「なにごともほどほどに」「正しいとか、正しくないとかない」
私に足りないものを全て代弁してくれているように感じるのだ。

私がひきこもりから脱出できた理由

「なんで引きこもりから脱出できたんですか?」とたまに聞かれることがある。
これまで私も理由がよくわからなくて、不明瞭だったんだが、改めてちょっと考えてみたいと思う。

今から3年前に、2年間ひきこもった。
斉藤 環氏の「社会的ひきこもり」によれば、だいたい「ひきこもり」というのは2年間が一種のボーダーラインで、それを越えると社会復帰が難しくなるらしい。
だからギリギリの線で社会復帰できたことになる。
私の場合は、それまでの「生きづらさ」に加えて、うつ、不安障害、処方薬依存が最大の要因だったので、参考にならない部分があるかも知れない。
これらを治せば、「ひきこもり」も自動的に治っていくのは漠然と分かっていた。

25歳の時、ひきこもる直前、私の病気はどうにもならない時点まで悪化していた。
毎日が地獄。
それは今考えると、対外的なことよりも、病気で私の認知が歪んでいる部分が大きかった(確かにブラック企業は2つほど経験したが)
ある日、自殺未遂して、決定的に外界とうまくやっていく自信がなくなった。
私は実家で療養生活を送ることとなった。

けれど、いい主治医、いいカウンセラー、自分に効く治療法(私の場合、依存症なので薬物療法の類は一切使えない)が分からないために、「ひきこもり」はどんどん悪化した。
悪化するのはどういうことかというと、対人緊張がひどくなり、自信を喪失して、猜疑心や劣等感が増大することだ。
こうなると、本当に外に出られなくなる。
今でこそ、認知行動療法でいうエクスポージャー法で、ちょっとずつ「外に出るハードル」を調整して治療していけばいいことは分かるが、当時はそんな知識も気力もない。
世の中すべての人間が私を責めているように感じたし、街に出ても恥ずかしさと罪悪感で身の置き所がない。
そう、「ひきこもり」になると、自分の中にさえ身の置き所がなくなるのだ。
これは、相当な苦痛だ。
げんに、ひきこもりから脱出して3年間、辛いことは色々あったが、あの2年間の「どこにも身の置き所がない疎外感」「終わり無き地獄の日常」に匹敵する苦痛にはお目にかかったことがない。

この苦痛は、「自分が死ぬか」「思い切って脱出するか」の2択でしか解消されないことが分かっていた。
どんなに策を弄しようが、言い訳しようが、「社会が悪い」とルサンチマンを抱えようが、絶対に解消されることはない。
極めてシンプルな話だ。
もはや、治療がどうの、もう少し良くなったら、と言ってられなくなった。
どこに行っても、誰と会っても、恥ずかしい思いをする。家族との関係も最悪まで落ち込む。
これ以上の苦痛を味わうのは、本当に限界だった。

だから最初は、思い切って外に出て美容院に行ってみた。
あの頃は、美容院に行くのでさえ、冷や汗と震えと動悸が止まらないぐらい悪化していた。
けれど、行けた。
うまくやれたかどうかといえば、ひどいものだった。でも「できた」というのが最重要なのだ。
その後は、ハローワークに行って、介護の職業訓練校に入った。
ここでもおおいに葛藤した。もともと私は芸大でデザインを学んで、仕事もそういう方面でスキルを磨いてたから、それまでのスキルを全て捨てて、全然違う仕事をしなければいけない。
けれど、もう四の五の言ってられなかった。
やらなければ、あの地獄の日常に戻るか、自殺するしかない。

職業訓練校でも辛かった。
対人恐怖で挙動不審だったり手が震えていることをバカにされ、嘲笑されることも多かった。
しかし「人間と関わる」という意味ではすごくリハビリにはなった。
その後、介護の施設に入社した。
もちろん、ひきこもった2年間で対人スキルは壊滅的なまでに衰えていたし、病気も全然治ってないので、慣れるまでひどく苦労した。
記憶力が低下していて、ミスしまくるし、他人と全然うまく喋れない。相当、挙動不審だった。
今では、その辺はだいぶマシになってきたように思える(病気はまだ完全に治ってないが)。

今思えば、エクスポージャー法の典型例を、本能でやってることになる。
最初は美容院→職業訓練校→就職、とだんだん調節しながらハードルを上げていった。

そして、もう一つの大きな要因は「生きるのがどうにもならなくなったことを認めて降伏した」ことだろう。
これは今、NAのプログラムで取り組んでいることだから、ハッキリ分かるのだが、この「底つき」を認めて、もう自分は何を失ってもいい、これ以上守るものがない、と覚悟したら、そこで始めて動けるような気がする。
あの2年間、働くことも出来ず、社会に参加できない自分は、人間のクズだと信じて疑わなかったが、それでもやっぱり無意識で「プライド」とかそういうものを守りたかったのだろう。
「自分はそこまで落ちぶれてない!」という、心理学でいう「否認」である。

これは人間なら誰にでも起こりえるものだというのは、NAのミーティングや介護の現場で利用者を見ているとよく分かる。
「自分がここまで落ちぶれた」というのを認めるのは、なかなか難しい。
けれど、認めて受け入れ、戦うのをやめたらなぜか勝っていた、という12ステッププログラムの有効性を証明するには格好の事例だろう。

もし私が5年前に戻れるのなら、自分自身にエクスポージャー法と、自助グループの存在を教える。
あれらがあったら、ここまで苦しむことはなかったろう、と。
自助グループは統計であらゆる種類の苦しみ(薬物依存、ギャンブル依存、ひきこもり、アダルトチルドレンなど)に効果があることが実証されてるし、エクスポージャー法などは科学的に効果があることが実証されている。
科学は、誰がやっても同じ結果が出るから「科学」なのだ。
つまり、今、ひきこもりで悩んでいる私以外の人にも効くのである。
興味があったら調べてみてほしい。
QLOOKアクセス解析